芸術家紹介

マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)について

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マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887- 1968)は、フランス生まれの芸術家。20世紀美術に決定的な影響を残した。画家として出発したが、油彩画の制作は1910年代前半に放棄した。チェスの名手としても知られた。Rrose Sélavy(ローズ・セラヴィ)という名義を使ったこともある。2人の兄、ジャック・ヴィヨン(Jacques Villon, 1875 – 1963)とレイモン・デュシャン=ヴィヨン(Raymond Duchamp-Villon, 1876 – 1919)も美術家。妹のスザンヌも画家。1955に、アメリカに帰化した。

デュシャンはダダイズムの中心的人物と見なされ、20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人と言われる。様々な現代美術の先駆けとも見なされる作品を手がけた。

デュシャンが他の巨匠たちと異なるのは、30歳代半ば以降の後半生にはほとんど作品らしい作品を残していないことである。彼が没したのは1968年だが、絵画らしい作品を描いていたのは1912年頃までで、以降は油絵を放棄した。その後、「レディ・メイド」と称する既製品(または既製品に少し手を加えたもの)による作品を散発的に発表した。1917年「ニューヨーク・アンデパンダン展」における「泉」(男子用小便器に「リチャード・マット (R. Mutt)」という署名をした作品))が物議を醸した。

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「泉」(再制作)

その後、「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁。さえも」という通称「大ガラス」と呼ばれるガラスを支持体とした作品の制作を未完のまま1923に放棄し、チェスに没頭していた。なお、チェスはセミプロとも言うべき腕前だった。

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「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」

 

彼のこうした姿勢の根底には、芸術そのものへの懐疑があり、晩年の1966、ピエール・カバンヌによるインタビューの中でデュシャンは、クールベ以降絵画は「網膜的になった」と批判しており、「観念としての芸術」という考えを述べている。

「芸術を捨てた芸術家」として生前より神話化される傾向のあったデュシャンに批判的な声(ボイスによる「デュシャンの沈黙は過大評価されている」など)もあったが、死後、ひそかに制作されていた「遺作((1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ)」が発表され、周囲を驚かせた。

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「遺作((1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ)」

墓碑銘に刻まれた「死ぬのはいつも他人ばかり」という言葉も有名である。
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デュシャン一族の墓。1995年に亡くなったティニー・デュシャン(マルセルの妻)の名も刻まれている。

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「遺作(フィラデルフィア美術館)」の前で話す瀧口修造とティニー・デュシャン(1973年)。

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